昭和50年 (月日不明)             テープ№50-045-4
                       中村良一

 甘木の初代の安武先生が、吉井の教会のある記念祭の時に、沢山なお参りと同時に、特別来賓の町長さんとか、町会議員さんとかという、招待がしてあったんでしょう。だからあのー今日こそまぁ今の合楽の言葉で言うと、合楽示現活動をせにゃならんと思うて、お説教台の上に前に立たれたところが、もうぎっすりお話が出なかったと。
 それで神様にお詫びをして、神様にお話をさせて頂かなければ、安武松太郎で出来る事ではないと云う事を知ったというお話を聞かせて貰った事がありますから。もう是はもう本当にそうですね。話が上手の先生なんかは、色々勉強しておられたり、本を読まれたりしておられますから、見事にお話されますけれども。その話では助からんのですよ、矢張り。
 話は例えば下手であっても、教養はなくても幼稚な話であっても、矢張り神様からね、あのーその先生の頭脳の程度に神様が現れなさって、そして話させて下さるなぁと思うお話でなからなければ、人が助からんです。
 ですからそういう意味でね、私くしは合楽の場合は、もう何時の場合であっても、あのー大坪総一郎が話しておると思われませんです。ですから言うなら、その位な物ですから、あのー結局ほんなら、それでもなら頂く方の側がね、それを吸収し得なかったら、やっぱおかげにゃならんという事です。
 ですからねまぁ夕べから今朝にかけて、まあーそれこそまあー手前味噌の様な話ばっかりの様に感じるんですけれども。私くしはもう本当に、おかげ頂かせたいばっかりで、本当の事を神様が言うて下さっておるという感じがするんです。
 今日はあの宮の陣の教会、秋山さんのお導きで、轟さんちいうかね、今朝からお参りをして来てから。今朝のお話をそのまま具体的に、その人が頂いておる教会の事で頂いておりますからね。如何に私のならお話が、如何にも合楽じゃないと助からんごたる言い方をすると。
 それは大変聞き苦しかったり、又私くしもあんまり好かんのですけれども、そういう話になって来るんです。今日の話もそうです。あの云うならば安武先生ですら、自分で話そうとなさっては話が出来なかったと言われる様にね。
 こら私くしの場合もそれを何時も実感します。ですから結局神様が話させて下さる話ですから。こちらに吸収力があり本当におかげ頂こうと思うたら、絶対合楽の御理解ではおかげ頂く御理解。内容を持った御理解なんです。
 ですからその頂く方の側がね、一つあのー本気でそれから頂こうという願い。又はそういう姿勢を作らなければね、おかげにならないと思う。こりゃもうどうでもですね。そういうその熱心な頂き方でないと、良いそのおかげになって来ない様に思いますですね。
 何か御理解を頂いて、はぁほんにそうだったというのが一日の軸になり、芯になって、そすとそれがおかげを呼ぶというおかげでなからなければね。お願いをしたからおかげを受けたと云う事もですけれども。矢張り分からせて頂いて、おかげを頂くというおかげになって行く為にもね。まぁ一つまちっと合楽のお話を、もっともっと素晴らしく、いうなら評価して貰いたいと。
 そら皆さん、そう思うておられるですけれどもね。けれどもその、もっともっとそれを例えば、何時か私はあの総代さん方に、正月を来て頂くんです。正月の七日ですか、五日ですかね。時にあの何人か見えない事が御座いました。それで、私くしがあのね申しましたんですよ。
 是がもし当時の三代金光様、金光様から正月の御招待を、しかも教会の内の何人かが受けたら、もうそれこそ威儀を正して紋付き袴で、それこそ前の日からでもその招待に応じるだろうけれどもね。大坪総一郎が、あんたどんが招待しとると思うから、来れなかったりするんだと。
 問題はそういう頂き方なんです。大坪総一郎が話しておるんだと思うたら、確かに神ながらの話と思うても、頂き方がそういう粗雑な事になって来るですからね。所謂金光様のお話と頂けれる様な、矢張り受け方姿勢がね、大事だと思うですね。
    どうぞ。